マンハイム楽派とは、18世紀ドイツのプファルツ選帝候のカール・テオドール(1724~99)のもと、活躍した作曲家たちを指します。ここの首都がマンハイムであるため、こう呼ばれているのですが、オーストリア継承戦争及び七年戦争後の30年この地が平和になったことにより、選帝候カール・テオドールは宮廷収入の7パーセントをオペラとオーケストラにつぎこみ、楽団の規模の拡大と質の改良に努め、ヨーロッパ最高の演奏家や作曲家の多くを招きました。(一部ウィキペディァ転用)
 ここのオーケストラは当時ヨーロッパ最高の質と量を誇っていたと言われています。当時のイギリスの音楽博士(音楽著述家)のチャールズ・バーニーは「このオーケストラには、おそらくヨーロッパの他のいずれのオーケストラよりも多くの独奏者や優れた作曲家が含まれている。私は世間に流布している評判を通じて期待していたものすべてがそこにあると実感した。無論、編成の大きいオーケストラは力強かった。」彼はあまりに感激してこのオーケストラを軍隊になぞらえるほどでした。クリスティア・フリードリヒ・ダニエル・シューバルトは「世界中のオーケストラの中でマンハイム宮廷楽団の右に出るものこれまで出ていない。そのフォルテは雷鳴のようであり、クレッシェンドは奔流のようである。ディミヌエンドは、泡立ちながらはるかかなたに消えていく透明な流れであり、ピアノは春の息吹である。管楽器はすべて、まさに的確に用いられており、弦楽器の嵐を強め、支え、あるいは補充し、活気付けている」と評しています。また哲学者フリードリヒ・ハインリヒ・ヤーコビはマンハイム・オーケストラを「音楽家の楽園」と呼び、詩人フリードリッヒ・ゴットリーブ・クロプシュトックは「人々はここでは音楽の官能の中で泳ぐ」と熱狂しました。教養の高い市民・芸術家たちはマンハイムのオーケストラを聴きたいと熱望していました。詩人クリストフ・マルティン・ヴィーラントは「私はマンハイムに行かねばならない。生涯一度でよいから、満足いく音楽を聴きたいからである。そのためにマンハイム以上によい機会に恵まれる場所が他に見つけられようか」と述べています。
まあ,つまりは啓蒙主義者で,芸術を特別によく理解した選帝候カール・テオドールの権力を誇示する為のものであったようです。選帝候は何十年にもわたり費用のトラブルも恐れず作曲の楽派,オーケストラの流派,偉大なオーケストラを築く事に邁進しました。
マンハイム楽派の音楽はいわば新時代を具現化していると言ってよく,定期的に開催される音楽会では宮廷に居並ぶ人々を軽くスウィングさせる任務を負っていました。選帝候の威光が示される絶好の機会でした。ヨーロッパ中の外交官,賓客ばかりでなく,宮廷の人々が何時間もトランプ台のまわりに座りコーヒー、紅茶,菓子などを飲んだり食べたりして楽しむ時には,普通の市民も参加できたそうです。こうした時には悲しみや哀愁の余地はまったくなく,従ってマンハイム楽派のほとんど全ての交響曲が長調で書かれている事は単なる偶然ではありません。
この楽派は,誰か天才的な一個人によるものではなく多数の才能のある音楽家たちの業績が運良く相乗効果をあげる事によって同時代の人々,音楽家たちに多大な影響を与えました。ある世代から次の世代へと綿々と受け継がれる長年にわたる音楽教育、大オーケストラの尋常ならぬ訓練。つまりは自分に与えられた課題を楽団員は名人のごとくこなし演奏しました。こうしてこのオーケストラは上記のように大音響から流麗な軽いパッセージまで併せ持つスーパーオケだったのです。
神の愛でたあの天才モーツアルト(1756~1791)も勿論,ヨーロッパ随一の音楽家たちが集まるマンハイムに滞在し、このCDにも収録されている作曲家であり楽士長のクリスティアン・カンナビヒ(1731~1798)と親密な交際をしました。従って若きモーツアルトの創作にマンハイムでの経験が影響している事は間違いないのです。モーツアルトはカンナビヒの娘ローゼを教えていましたが,彼女との優しい絆も彼をマンハイムにとどめておく要因だったようです。ついにはモーツアルトは選帝候カール・テオドールに自分を雇ってもらう事を熱望するようになり将来はマンハイムで過ごすという計画まで立てました。が,物価の超高いマンハイムでの生活を危惧し父レオポルドの反対でその計画は頓挫したそうです。
 マンハイム・オーケストラ文化の創始者ヨハン・シュターミツがコンサートマスターの地位にあった1756年のオーケストラの規模は、ヴァイオリン20名、ヴィオラ4名、チェロ4名、コントラバス2名、フルート2名、オーボエ2名、ファゴット2名、ホルン4名、トランペット2名、ティンパニ1名。1759年には、おそらくヨーロッパで初めてクラリネットを編成に入れたオーケストラとなっていました。モーツアルトの話に戻ってしまいますが、彼はクラリネットを入れた演奏を聴いて非常に感銘を受け自身の木管の作品に多彩な色合いをつけていったそうです。
収録曲
カンナビヒ(CHRISTIAN CANNABICH 1731~1798) 交響曲変ホ長調
C.シュターミツ(CARL STAMITZ 1745~1801) チェロ協奏曲第4番ハ長調
フィルス(ANTON FILS 1733~1760) 交響曲ト短調
J.シュターミツ(JOHANN STAMITZ 1717~1757) 交響曲ト長調
フレンツル(IGNAZ FRANZL 1736~1811)  交響曲第5番ハ長調
コンチェルト・ケルンによる会心の演奏です。バッハ、ハイドン~モーツアルトの架け橋になったマンハイム楽派のの本質を質の高いオーケストラ団員と作曲家群の総合力と捉えるコンチェルト・ケルンは曲ごとにリーダーを変更するアプローチにより集団指導的な芸術家集団であったマンハイム楽派の神髄に迫っています。
TELDEC 3984-28366-2