作曲者のゼレンカ(JAN DISMAS ZELENKA 1679/10/16~1745/12/23)はちょうどバッハより6歳年長です。(没年も5年早い)従ってほとんどバッハと同じ時代を生きた作曲家です。が、出身はボヘミア、プラハ近郊に生まれ、ドレスデン、ウィーン、イタリアの各地に学びそれぞれの音楽様式を身をもって体験した国際人でありました。一生をほとんど中部ドイツで暮らしたバッハとはやはり異なります。音楽家としてのゼレンカの経歴はプラハから始まりました。1709年、同地のヨゼフ・ルートヴィヒ・フォン・ハルティヒ男爵の宮廷に仕えこのころからラテン語のカンタータを発表しています。1710年、ゼレンカはエルツ山地を越え、ドレスデンに赴きます。コントラバス奏者件作曲家として赴任します。古都ドレスデンは当時「北のフィレンツェ」とも呼ばれているように当時のドイツにおけるイタリア文化の中心地でもありました。イタリアの美術品が宮殿を飾り音楽もまた伝統的にイタリア趣味を反映しておりました。1715年、ゼレンカはドレスデンを後にし本場イタリアへと向かいます。途中立ち寄ったヴィーンでは宮廷の華やかな音楽生活を体験、当時対位法の大家であったフックス(Johann Joseph Fux)のもとで学んだと伝えられています。1716年、ゼレンカはあこがれのイタリアの地を踏みます。
滞在したヴェネツィア ではアントニオ・ロッティ(Antonio Lotti)が、ナポリではアレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandoro Scarlatti)やフランチェスコ・フェオ(Francesco Feo)が活躍しており彼らからの影響は大きかったと考えられます。当時の有名な作曲家たちの作品を筆写し1719年に、ドレスデンに帰還。そして同地の教会音楽に多大な貢献をしました。1735年には教会作曲家Kirchencomponistの称号を得たことはそれを如実に物語っています。J.S.バッハもゼレンカの教会音楽を高く評価し、「マニフィカト ニ長調」を当時ドレスデンのソフィア教会のオルガニストであった長男のフリーデマンに写譜させたことも知られています。ゼレンカの作品は教会音楽が主ですが、このCDでは個性あふれる器楽曲が納められています。
曲調は、人柄を現すかのような明るい曲ばかりです。曲中の調整が「えっ?」って感じで変わることもあったりででも楽しめます。
演奏は、アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt)とウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
言わずと知れた巨匠の演奏です。
それにしても、このCDジャケットの絵ですがどう見ても当時の歯の治療の図なのですが出典がわかりません。左側の縛られているおじさんは今まさに歯を抜かれるところなのでしょうか?押さえつけてる助手の顔を思いっきり押しのけて抵抗していますね。いずれの時代も歯の治療はいやなものですが、当院ではなるべく痛みのないように努力しています!(ちょっと宣伝でした)
TELDEC WPCS 5990