72.でマタイ受難曲を紹介致しました。そうすると、この「ヨハネ受難曲」をご紹介しない訳にはいきません。マタイの初演は1729年4月25日(バッハ44歳)ライプツィッヒの聖トーマス教会、そしてヨハネは遡ること5年、1724年4月7日、バッハが39歳、聖トーマス教会のカントル(音楽監督と言っていい)に就任してはじめての聖金曜日(受難日)に初演されました。キリスト教では、民を救う為に十字架にかけられたイエスの受難と死を常に心にとどめておくために、毎年聖金曜日を特別な日として扱い古くから新約聖書の福音書中の受難の記事を音楽化して演奏してきました。
引き続き、ライナーノート(木村佐千子氏による)から。新約聖書に含まれる4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)はイエスの生涯と教えを伝える書物であり、4福音書は異なる書き手によって別々の時期に成立したとされていますが、そのうち、マタイ、マルコ、ルカの3福音書の内容は細部まで一致する点が多く共観福音書と呼ばれています。しかし「ヨハネによる福音書」だけは記事の選択や解釈に異なる部分が多く、共観福音書との共通記事は1割にも満たない。イエス受難の出来事の扱いも「ヨハネ」と共観福音書ではかなり異なっています。「ヨハネ」においての受難は、イエスが旧約の預言を成就させ天の父のもとへと帰還するその途上に位置するものであり、イエスは「自ら十字架を背負」ったとされる。いわば受難は積極的に扱われている。そして受難に際してのイエスの苦しみが記事中で全面に押し出されることはなく、又イエスが受難を前に葛藤を経験するゲッセマネでの祈りの場面、息を引き取る直前に「我が神、我が神、なぜ私を御見捨てになったのですか」と叫ぶ場面は「ヨハネ」にはない。そのかわり、総督ピラトがイエスを尋問する場面が共観福音書に比べて拡大されているのが特徴的であり、全体として叙事的な記述がなされている。従ってバッハは、この「ヨハネ」を非常に劇的な受難曲に仕上げています。叙情的な部分の多い「マタイ」とは性格を異にしています。
さて演奏に関してですが、この「ヨハネ受難曲」初演されてからバッハは亡くなるまでに少なくとも計4回の演奏がなされていることが分かっているのですが、バッハは演奏のたびに手を入れていて現存するオリジナル・パート譜では4つの稿が区別され各稿の間の差異は曲の差し替え等を含みかなり大きくなっています。従っていざ演奏する立場に立つとどの稿を採用していくかが大きな問題となるようです。実際このCDの音楽監督、日本のバッハの権威の1人である鈴木雅明氏もどういう理由でこの稿を使ったかを細かに解説してくれています。
まあこまかいことはともかく、演奏に耳を傾けてみましょう。2部構成、マタイよりは時間的に短いもののやはりCD2枚組の大曲には違いありません。冒頭の合唱の構成をシューマンが絶賛したというはじめから劇的な音楽作りがされています。
ROMANESCA KICC314/5