バッハの息子たちを特集しましたが、その際に本やネットでの検索でバッハ(J.S.BACH)についての文献や記録を結構読ませて頂きました。そしてやっぱり凄いなあと改めて感じた次第です。この曲は待合室では絶対に(多分)かけないと思いますが,「バッハの息子たち」の流れで是非とも紹介したくなりました。バッハの最高傑作と呼ばれる作品はあまたありますが,正真正銘の傑作の一つ「マタイ受難曲」です。浅学非才を顧みず言わせて頂くと死ぬまでに歌っておかねばならない曲が数曲あるのですがその筆頭がこの「マタイ受難曲」です。うーん,まだ歌ったことが無いのですよ。残念至極。もし機会が無ければ自ら作って行くしかないなあと思っているくらいなのです。
 聖書に関しては明るくありませんが、キリストの受難(ユダの裏切りから捕われ,磔刑そして復活)の物語を約3時間の曲にしたのがマタイ受難曲です。この曲の演奏に関して、いわゆるソリスト以外はヴィオラ・ダ・ガンバを中央にはさんでオーケストラと合唱が対称に2グループ存在し,分担して曲が進められます。両グループは掛け合いをしたり合同で演奏したりもします。エバンゲリスト(福音史家)と呼ばれる案内役(きわめて清潔な声のテノール!憧れます!)が状況を説明し続いてソロや合唱が受難の様を歌い上げいて行きます。
第15曲のコラール、第20曲のアリア、第39曲アリア、終曲第68曲の合唱などいつ聞いても感情がこみ上げて来てしまいます。僕にとっては何とも不思議な曲です。
 このマタイに関しては、やはり磯山雅先生(バッハの権威)のノートを引用せざるを得ません。(磯山先生は松本市出身。緊張しましたがかつて、一緒にお酒を飲ませていただいたことがあります。非常にすてきな時間でした!)同じ文章を作曲家池辺晋一郎先生が感動して引用しておられます。その辺をまとめます。
 受難曲というのは言うまでもなく、聖書の中の福音書(マタイ、ヨハネ、マルコ、ルカ)4つのどれかに従ってイエスの受難の物語を描くものです。イエスの悲惨は12人の使徒のうちの裏切り者ユダに、あるいはユダヤ民族に罪がある、と言うのが定説になっています。それ故にその後2000年に及ぶユダヤ人の放浪、イスラエルの建国、ナチスによるホロコースト、パレスチナとの関係、、、、歴史はユダヤ人の呪われた運命を細かに記します。
ここで磯山先生はこういう解釈をします。「マタイ受難曲がキリスト(救い主)とされるイエスの受難の意味を問うものであることは言うまでもない。作品を通じてバッハが何より強調するのはイエスの十字架上の死が単なる非業の死でなく「人の罪を身代わりに背負っての」贖罪死であるということ、それを引き起こしたのは私たち人間自身の罪である、ということである。このため受難曲は、絶えず私たちに内なる罪への自覚を呼びかけ、良心の目覚めと悔い改めを促すものとなっている。ユダもここでは、極悪非道の裏切り者として排除されるのではなく「放蕩息子」として悔い改めるものたちの系列に加えられる。他人の欠点や過ちを攻撃するよりもまず自分自身の内なる罪を問うことによりよりよい生き方だとバッハが考えたのであるとすれば、そうした考えは現代にますます必要な意義深いものではないだろうか?いずれにせよ、こうした基本姿勢に「マタイ」ならではの豊かな包容力の源泉があると私は考える。~中略~こうした思想や感情を表現するバッハの音楽は切実でありながら優しく、嘆きの中に絶えず解放と救いへの希望を宿している。」そして「現代においては人権の美名の名の下にとかく権利の主張が先行し内への自己正当化、外への批判攻撃が当然のように行われている。~中略~人間の「救い」は結局、内側における目覚めを通してしか可能にならないのではなかろうか?」
 バッハは磯山先生の言葉を通して解釈すると、全人類へのメッセージを自身の作品に載せて発信していると言うことになる。でも、そのことが納得できる「マタイ受難曲」である。
何しろ長いので、聴くのにためらいがあるのは事実です。しかし、全68曲すべてにバッハの人類へのメッセージがあると思うと少しずつ聴いていただきたい筆頭の曲です。
宣言:死ぬまでに絶対歌うぞ!です。
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