武久源造さんの再びの登場であります。既に何枚かのCDをご紹介しました。内容の素晴しさはもちろんですが、ライナーノートの充実さも見逃せないことはお伝えしてきました。本当に武久さんの博識ぶりにはただただ驚かされるのですが、今回も然り、です。こんなに聞く人の為に懇切丁寧に文章をしたためてくださる演奏家はそうは居ないのではないかしら?と思います。
 武久さん自身のコメントをまた載せさせて頂きます。
『バッハのオルガン曲ばかりを取り上げた最初のCDをリリースするにあたり、私はバッハの最初期と最晩年のマスター・ピースを選んだ。バッハの広大な音楽の森に深く分け入る前に、まずその全貌を見渡せるような高台に上ってみたかったからである。無論、彼の創作活動の全貌を見渡すことなどはできない。それは地平線の彼方にまで広がり、今なお膨張し続けているようにさえ見える。宇宙の彼方の星たちの、今我々が見ている微かな光は、それらが数十億年前に発したものであるのと同様に、バッハの音楽も時の流れを超えてその光を届かせている。我々はあくまでも狭い地球から飛び出すことはできないのである。しかし、微かであっても光が見えているのなら、それを愛することができる。音楽を愛する魂は、か弱いながら、自ら飛翔し得る翼をもっており、うまく風に乗れれば、空高く舞い上がって、星たちの近くにまでいけるかもしれない.欠点の多い演奏ではあるが、このような夢想において、聴いてくださる多くの方々と共に音楽を、このすばらしいバッハの作品の数々を歓びたいと思う。」
武久さんの音楽へのコメントを更に追加します。
深い示唆ですね。
「未来の人類が『通過』すべき魂の諸状態を暗示し、
それへの道筋を適切に示すことが宗教の真の存在意義であると
私は思う。しかし、それはどこで起こるのか?
私の答えはこうだ。
魂を揺り動かすような芸術的なエクスタシーの真っただ中で、
それは起こる。
ルターが礼拝において音楽を『神からの贈り物』
また『神への捧げ物』として重く用いたのも、
バッハが『整った教会音楽』のために心魂をすり減らすような
苦労を惜しまなかったのも、
この一事のためであったと信ずる。」
(武久源造著「新しい人は新しい音楽をする」アルク出版企画刊より)
武久さんのバッハに対する正直な、敬虔な気持ちが書かれています。
実際聴いていると浄化されていくような気がします。おっと、、俗物のコメントはあまりしない方がいいかもしれません。
ALM Records ALCD-1016