未だに鑑賞をしていませんが映画「ダヴィンチコード」は今年の大きな話題となりましたね。ジョン・ブラウン原作のこの物語はキリストの聖杯伝説をもとに、天才レオナルド・ダ・ヴィンチが自身の作品に封じ込めたキリストの血脈にまつわる秘密をめぐって繰り広げられるサスペンスです。このCDはそんなこんなの状況で衝動買いしてしまった一枚です。さて
今日、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519 ヴィンチ村のレオナルド)は画家として、また技術者や発明家、はたまた解剖学者としてその才能を高く評価されていることは事実ですが、彼が活躍していた当時は音楽家としてもとても名高かったのだそうです。これは知りませんでした!
レオナルドの技能については彼と同時代人が残したコメントにその証拠を見つけることができます。例えば数学者であったルカ・パチョーリは著作「神聖比率論:ミラノ1491」の中でレオナルドのことを「価値ある画家、遠近/透視画法の大家にして、建築家、そしてきわめて才能ある音楽家」と記しています。またジョバンニ・ロマッツォは「夢の書:1563年」でこう書いています。「テーベの詩人ピンダロスのように、当時リラを奏でたあらゆる者の君主である、、、、私は読者の皆さんもご存知だと思うが、当時リラを弾かせて画家レオナルド・ダ・ヴィンチの右に出る者がいなかったと断言できる」まさに名人だったようですね。
 若きレオナルドの徒弟期間については何も知らされていません。しかし、後にカスティリョーネが著書「宮廷人(の書)」に書き記しているように、当時は画家や彫刻家、建築家たちは音楽家であることがきわめて多く、音楽の訓練を含まない教育は不完全と見なされていました。
従って、レオナルドもその明晰な頭脳とたぐいまれな手先の器用さで音楽をも自分のものにしていったことは想像に難くありません。レオナルドが得意としたリラとは

っていう形をしています。このリラ・ダ・ブラッチョはウィーン美術史美術館に所蔵されているジョバンニ・ダンドレア製作(1511ヴェローナ)の楽器です。糸巻きの部分は開閉可能で表は男性の顔ですが裏は女性の顔が彫刻されています。はめ込まれた象牙版には「医師に苦痛がつきものの如く,人には歌がつきものである」と記載されているそうです。
 さて本題の音楽についてですが、レオナルドが赴いたフィレンツェ、ミラノ、マントヴァ、ローマ、フランスの当時の音楽が順番に21曲並べられています。作者不詳の曲も数曲ありますが、記載されている作曲家の名前も初めて知る方ばかりで、、、世の中知らんことばっかり!です。まあでもこうやって知り合いになって音楽を耳にすることができる、良い時代です。500年前の音楽です。ただならしているのですが、和声,構成が複雑でない分非常に癒し系で心にしみてきます。
古いものは洋の東西を問わず良いものですね~~。ジャケットが又奇麗じゃないですか、、、、
今回はこういう紹介になってしまいましたが致し方ありません。古すぎる!
KICC 640