このCDは今まで聞いたことのない構成でつくられています。再び武久さん自身の解説を引用します。興味のある方にはやはり全文を読んで頂くと非常に面白いのですが、、
「このCDは,バッハの『教育用』の小曲を集めたものである。多くは長男ウィルヘルム・フリーデマンのための音楽帳に書き込まれたものであり、そのタイトルは<プレルーディウム>・<プレアンブルム>などとなっている。<インヴェンツィオン>や<シンフォニア>も最初に<音楽帳>に現れた時には<プレアンブルム>および<ファンタジア>となっていた.いずれにせよ題名にはあまり深い意味はない.ただしバッハが一連のフガート(フーガ)作品を<インヴェンツィオン>と名付けたことには注目する価値がある。(これはいわゆる「インベンション」のことと思われます,杉山注)[インヴェンツィオン]は古典的弁論術で言う第1段階,すなわち「発見」を意味する言葉である。「発見」とは演説において先ず何を言うべきかを[見いだす」ことであり弁論術ではさらにそれを適切に「組み立て」,細部を「練り上げ」気の利いた言い回しなどで「修飾]し、それを「記憶」し,聴衆の面前で最も効果的に「表現」することが教えられる。この修辞学の伝統は17~18世紀ドイツの学校教育で重要視され,シュッツ、ブクステフーデ、クーナウ、バッハらもこの伝統をみっちり教え込まれたのであった。顧みるならば,中世にあって教養人たるものが習得すべき学問は「自由7科」と呼ばれた7教科であったが,そのうちでも数理的な4科の方がより高い地位を占め,大学における研究の主たる関心事でもあった。ここで言う数は,リアルな数にとどまらず,宇宙の法則を理解する鍵であり象徴的な意味で,人の心に真のハーモニーをもたらす神秘的な「呪文」でもあった。学問としての音楽はこの数理4教科に属し,作曲[コンポーズ]は[(音を)共に置くこと」つまり諸声部を組み立てることを意味した.そしてそれは建築と同じく合理的で,高度の厳格さが要求される職人芸と考えられていた。」(中略)
如何でしょうか?蘊蓄はまだまだ続きますが、
「インヴェンツィオン&シンフォニアの序文でバッハは言う.[この曲集の目的は2声部をきちんと弾くだけでなく,3つのオブリガート声部を適切かつ,美しく演奏すること,それと共に,良い着想を得てそれらを適切に仕上げること,そして何よりも鍵盤楽器のカンタービレ(歌うように)な奏法を学ぶこと,同時に将来の作曲への強力な足がかりを得ることである。」この時代,演奏と作曲は弁論家にとっての演説同様,「発見」から「表現」に至る諸段階を通じて完成する一つながりの行為なのである。そしてバッハはその中心に[歌うようにひくこと」(カンタービレ)を置いている。(中略)このCDで私が、三つの鍵盤楽器(クラヴィコード、チェンバロ、小型パイプオルガン(手動ふいごによる))を用いた所以はここにある。」
ということで、バッハのインベンション、前奏曲、シンフォニアを調性ごとに分類し、さらにバッハがとったアルファベット順[Cdur,cmoll,Ddur,Dmoll (ハ長調、ハ短調、二長調、ニ短調)]ではなく続けて聞いた時になだらかに変化するように工夫した、という手のこんだ仕上がりとなっている。実際聞いてみると、よく知っているメロディーがほんとになだらかに移行していくのが調性のことなどよく理解していないこの私にもわかる。
蘊蓄は全文書き写したいくらいに興味深いものであるが、最後の文章を載せて紹介を終えよう。
「再び新たに音楽への愛を教えてくれたバッハとその音楽に、そしてこの録音に立ち会って下さったスタッフの一人一人にこの場を借りて心からの感謝を申し述べたい。そしてこの演奏を、1997年6月19日、3歳10ヶ月にしてこの世を去った我が子大吾の魂に捧げたい.彼は妻と私にとって初めての子であった。「大きくなったらチェンバロを弾きたい!」という言葉を最後に残した彼は、順調に育っていれば数年後には、これらの曲を楽しげに弾いたことであろう。丁度バッハの愛児フリーデマンがそうしたように。」
ALCD-1017