なぜ私がクラシックファンになったのか、というお話は多分読んでみてもそう面白い話ではありませんが、今回は秋の夜長、文章にしたことがないので徒然にしてみようと思います。他人の生きざまって面白いようでうっとうしいところもあって興味のある人の伝記みたいなものは良いんだけど、、一日の仕事を終え、少しお酒も頂いた自宅での夕食後にこの記事を書いています.
 思い返すと、自分は運動が苦手ではないのですが走るのが苦手ということと、小さい頃は早生まれの3月25日という誕生日故のどうしようもない身体的ハンディ(小さい身体)に始まります。従って、どうしても運動系は、、無理でした。だからというわけではないのですが、小学校時代に合唱を始めました。なぜかと言うと鈴木先生って言ったかな?音楽の時間に独唱したら「お前良い声している」って褒められたのです。その頃から豚もおだてりゃ木に上る的な性格で、なんかなし崩しに合唱部に入れさせられたのです。ただし、メンバーは男が私1人。歌は好きだったのですが男の子独りと言う居心地の悪い思いをしながらも地元放送局のコンクールにも出たりました。小学校のコンクールって司会をやってるアナウンサーがインタビューするんですよね.「男の子1人だね」とか、、余計なお世話だと思いながら、でも、そんな中で音楽は確実に自分を形成する大きな要素の1つになって行きました。従って中学入学時、まだまだ成長のスパートが来ていなかった私の身体は相変わらずで、大出君という仲良しの子と最前列を不本意ながら譲り合っておりました。部活動の選択をする時も、バスケットやバレーボールのような華やかな女の子にもてる運動部は、はなからあきらめて、(そう言う選択をしなければいけないという心理は子供心に少し悲しかったことを正直に言います)そうすると音楽関係しか残っていないわけです。したがって中学時代は合唱がなかったので吹奏楽を始めトランペットを吹いていました。私のほら吹きはその頃からかもしれません。その時にアンサンブルが非常に楽しいことを知りました。高校に入ってからは今度はいわゆる吹奏楽が無かったため(軽音楽的なものはあった)合唱に舞い戻りました。それ以来、中断はあるものの合唱を続けているのですが、1年生のときの3年生に音楽気違い(放送禁止用語ってことは知っていますが、他に表現が見つからない!)のT先輩がいて大いに影響を受けたのです。そしてそのおかげで、詳しくは割愛しますが音楽漬けの高校生活を送ることになります。ターゲットは勿論クラシックが中心。自然の成り行きでした。そんな環境の中で最初に自分の意思で買ったLP(今の子供たちは知らないだろうな)が忘れもしません。カール・ベーム指揮ウィーンフィルのベートーベンの第7交響曲(現在この曲はノダメカンタービレのオープニングに使われていてなんか変にブレークしているそうですね!)だったのです。値段は30年前で3000円近くしたと思います。もうこの一枚でクラシック音楽のとりこになってしまいました。最初に買った曲が大正解(選曲も演奏者も)だったことは間違いありません。それ以来、FMファンという雑誌を毎号買い込み(この雑誌は良くできていて、翌月のFM番組のプログラム・曲目がすべて載っていたのです)NHKFMラジオ(当時の長野県はNHKFM放送しかなかった!!)から流れるクラシック番組の音源をカセットテープに録音する毎日!今から思うと楽しかったですよ。夕食をそそくさと終え、自室にこもり、ラジオを聴く日々、、、そういう生活が。現在のように何でもその場であっという間に手に入らないところがむしろ良かったです。
そういうわけで,最初にハマったのが1984年生まれのカールベーム(1894.8.28~1981.8.14)だったのです。ご存知でしょうか?R.シュトラウスのオペラ「バラの騎士」の初演のリハーサルをお父上が弁護士をしていた関係で子供の頃に見ていたというとんでもない人で、最終的にはオーストリア国家音楽総監督になった人です。第二次世界大戦終結直後に、瓦礫の山と化したウィーンでベートーベンのオペラ「フィデリオ」の演奏会がありました。大戦中上演を禁止されていてそれは数年ぶりの演奏会でした。ムジークフェライン(ウィーン楽友協会ホール)に入り切らない観客は外部スピーカでその公演を聞き涙を流したという伝説の演奏会を指揮したのもカールベームでした。まあそんな古いことはいいのですがカールベームは僕にとって神様になりました。その神様が、高校卒業の年、大学にもなんとか合格したその春休み(3月)にあの天下のウィーンフィルと来日するという事態が起こりました。年齢故,来日は無理だろうと言われていたベームの日本来日!これは当時のクラシックファンにとっては将に事件でした。時は西暦1976年。ベーム御年82歳!代々木のNHKホールを主会場ににした演奏会はブラームス、ベートーベン、シューベルト、J.シュトラウス?世、の4プログラムだったっとおもいます。副指揮者が、今ではイタリアで右に出るものがいないといわれている巨匠リッカルド・ムーティ!!(ベームの来日に関しては落ちがありまして,76年の来日が最後だろうと言われていたのですが,その後ウィーンフィルと共になんと2回も来日したのです!その2回のチケットは求めませんでした)
当時、東京で学生生活をしていた兄がなんとその初来日のベームのチケットをゲットしてくれたのです。嬉しかったのは言うまでもありません。ベートーベンプログラムの交響曲4番7番のチケットでした。当時のチケット代で7000円でした。兄から無心された今は亡き親父が700円かと思ったら一桁違ったと苦笑していた、そういう時代のプラチナチケットでした。いまだにあのときの感動は忘れません。新宿まで当時,特急あずさで3時間20分。渋谷のNHKホール!2階右のS席!それ以来のベームファンです。クラシックファンになったのと、ベームを紹介するのにこんなに長く語ってしまいました。やはり読み返しても面白くないですね,,済みませんが消すのももったいないのでこのままにしておきます。
 というわけで、今年、生誕250周年を迎えたモーツアルトの後期交響曲集を取り上げました。実際、診療室で交響曲を流すことはあまりありませんが、このCDはやはり19世紀に生まれた指揮者が持つカリスマ性を持っているように聞こえるのです。つまりはなんか知らないが良いじゃん!という演奏なのですが、、小澤さんとは明らかに違う演奏なのですがそこが又良いのです。ベームが亡くなってすでに25年。僕が大学5年生の時に亡くなりました。何故か、心の中で一区切りがついたな!って思ったのも記憶しています。人生でこういう出会いができた人が居るというのはありがたいことです。今、彼は生まれ故郷、オーストリア第二の町であるグラーツのシュタインフェルト墓地に親族と眠っています。
注;BPOはベルリンフィルハーモニーオーケストラの略です。
UCCG-3310/11