32.に引き続いて武久源造さんのCDをご紹介します。このCDの紹介はご本人のライナーノートから拾った方が分りやすいと思うので転載させていただきます。
 本CDはいちだいのチェンバロを使って741年から1747年の間に,ライプツィヒ、ベルリン,そしてパリで発表され,或は完成された作品を納めたものである.これらの作品の形式および様式は実に多岐にわたっておりほぼ同時に現れたものとは信じられないほどである。
収録されている曲目は
 音楽の捧げもの(J.S.バッハ)
 スキタイ人の行進(ロワイエ)
 クラブサンのための合奏曲集(ラモー)
 ヴィオラ・ダ・ガンバのための組曲第5番(フォルクレ)
 シャコンヌ(〃)
 ヴェルテンヴェルクソナタ第3番(C.P.E.バッハ:バッハの息子)
 平均率クラヴィーア曲集第2巻から18、22(J.S.バッハ)
このCDには副題がついています”バロックの終焉”という。そのことについて武久さんはこう書いています。
~1740年代について~(前略)時代が変われば当然音楽も変わらざるを得ない.試みにこの前後の音楽史年表を覗いてみると確かにそれは賑やかなものである。1740年、ウィーン,7歳になったヨーゼフ・ハイドンが少年聖歌隊に入隊,翌年の1741年,バロックの大伊達者と言われた赤毛の司祭アントニオ・ヴィバルディと対位法の大家ヨーゼフ・フックスが同じウィーンで逝去。そしてその前後、バロック末期の巨匠たち、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750),ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685~1759)、ジャン・フィリップ・ラモー(1683~1764)、ドメニコ・スカルラッティ(1685~1757)はいずれも50代後半、後世に残る最高傑作の幾つかをまさにものにしようとしていた。一般にバッハの死とともにバロック時代は終わる、賭されているから1740年代は文字通りバロック音楽の収穫の秋,或は最後の輝き,ある意味で絶頂期とも言うべき10年であったと言えよう。実際この前後に生み出され,今なお演奏され続けている傑作名作は数知れない。
 と書かれています。詳しくは実際にライナーノートを読んでいただくしかないが,武久さんは3.個々の作品について 4.作品と演奏の関係について 5.私自身の演奏についてと題し合計26ページにわたる解説をして下さっている。解説の末に,1999年2月の時期署名があるが,最後の8行は読み進めた者にとってはショッキングな内容となる。
「本CDの録音は,我が子大吾の逝去する間際,ほんの2週間ほど前に行われた.私と妻とは,既に彼の死を覚悟させられていたが,最後の時が来るまで望みを捨てたくはなかった。そのような恐れと不安の中で,私は無我夢中で演奏した.懸命にチェンバロを弾くことで,病魔と闘っている子供になにがしかのエネルギーを送りたいと思った.それが私の祈りと言えるものになっていたかどうか、、、
 偶然にも,子供が不治の病を得たその時に,バロックの終焉というCDの企画を思いついたことを「不吉だ」と考えるほど,私は迷信家ではない。しかし今思えばその偶然にも何らかの意味があったのかもしれない。そのことも含め,新たに万感を込めて,ここに<バロックの終焉>を世に送り出すものである。
 あたかも1999年.<終わりの輝き>というものを,噛みしめ味わう時を,我々は生きている。」
これ以上の説明は不要でしょう。
ALCD-1022