14.でヴィオラ・ダ・ガンバのお話をしたのでついでにもう1枚ご紹介します。
作曲者はマラン・マレ(Marin Marais 1656~1728)と言います。ヴィオラ・ダ・ガンバ界の秀吉?ともいえるような人です。パリの靴職人の息子から宮廷直属のヴィオラ・ダ・ガンバ(ただ単にヴィオールと言い方もします)奏者になった人なのです。1666年、音楽的な才能のあったマレはサン=ジェルマン=ロークセロワ教会の聖歌隊員養成所に入って当時「最も音楽の道に通じていた」音楽家フランソワ・シャプロンに指導を受けます。その後1672年9月サン=ジェルマン=ロークセロワ教会に別れを告げたマレは、高名なヴィオール奏者のサント=コロンブの門を叩きます。
そこでの教えはたった半年で終わりを告げます。なぜかと言うと師匠であるコロンブが半年後、この弟子がすぐに自分を超えるであろう事を悟ったためで、師匠コロンブは「もはや私が君に教える事は何もない」と弟子のマレに告げたのです。しかし、この言葉は弟子のマレのヴィオールへの情熱を一層かき立てることにしかならなかったのです。夏の暑いさなかサント=コロンブが庭の木陰にしつらえた東屋にこもって一人ヴィオールを演奏しているのを見るや、マレはその東屋の床下で、師匠の演奏を盗み聴くのでした.しかし、サント=コロンブはこれに気づき二度と弟子に盗み聞きされないように用心したのだそうです。師匠にライバル心を燃やさせるほどの情熱と才能を兼ね備えていたのです.その後マレは王立音楽アカデミー、通称オペラ座のヴィオール奏者の席を得るという事になるのです。そこでの上司はジャン・バティスト・リュリなのです.(このリュリもご紹介する日があると思います)そしてそこでの腕が認められやがて「国王陛下の室内楽団のヴィオール奏者」に任命されます.こうして大家への道を歩む事になったのです。このCDに納められた曲の数々はまさしく宮廷の舞曲を彷彿とさせる明るくて乗りの良いもののほか清々しく、情感あふれています。マレは、映画「めぐり逢う朝」以降、日本で知られるようになりました.(すみません、私は見ていません!)
 演奏は、ファン・マヌエル・キンターナ.1972年ブエノスアイレス生まれ。最初リコーダーを演奏していたのですがヴィオールに転向という経歴の持ち主。卓越したテクニックを持ち、世界各地で精力的に演奏活動しています。
KKCC-450(HMC 905248)