長野県にいながら,世界最高のオーケストラ、ウィーンフィルの音色が聞けるってことは僕が高校生の頃には考えられなかった事です。この世界最高峰のオーケストラは1956年の初来日から今回まで26回の日本ツアーをこなしています。(今年が26回めという事になります)
上の写真がプログラムなのですが、その中の「来日公演一覧」を見ると招聘されている指揮者の名前ににうならされます。
第1回 1956年/4月 パウル・ヒンデミット
第2回 1959/10~11 カラヤン/ウィリー・ボスコフスキー
第3回 1969/2~3  ゲオルグ・ショルティ/ウィリー・ボスコフスキー
第4回 1973/3~4 クラウディオ・アバド
第5回 1975/3~4 カール・ベーム/リッカルド・ムーティ
第6回 1977/2~3 カール・ベーム/クリストフ・フォン・ドホナーニ
第7回 1980/10~11 カール・ベーム/ロリン・マゼール
第8回 1983/4   ロリン・マゼール
第9回 1986/4   ロリン・マゼール
第10回 1987/3  クラウディオ・アバド
第11回 1989/10~11 クラウディオ・アバド
第12回 1991/3  アンドレ・プレヴィン/レオポルト・ハーガー
第13回 1992/3  ジュゼッペ・シノーポリ
第14回 1993/11 小澤征爾
第15回 1994/10 ゲオルグ・ショルティ
第16回 1995/11 ジェイムズ・レヴァイン
第17回 1996/9~10 ズービン・メータ/小澤征爾
第18回 1997/10 ベルナルド・ハイティンク
第19回 1999/3 リッカルド・ムーティ
第20回 2000/11 小澤征爾
第21回 2001/10 サイモン・ラトル
第22回 2003/11 クリスティアン・ティーレマン
第23回 2004/11 ワレリー・ゲルギエフ
第24回 2005/10 リッカルド・ムーティ
第25回 2006/11 ニコラウス・アーノンクール そして今年
第26回 2008/9 リッカルド・ムーティ
という訳で、当たり前と言っては何ですが凄い指揮者たちと結構な回数、来日している事が分かります。たしか,ウィーンフィルのメンバーの奥様の中に日本人が4~5人おられたように思います。現コンサートマスターのライナー・キュッヒル氏の奥様も確か日本人!のはずです。日本公演が奥さんにとっては里帰りになる訳なので日本公演が増えるのも頷けるというものです。御陰で生のウィーンフィルが聞けるのですから、、、(そういえばウィーン・リング・アンサンブルの
1st Violinもライナー・キュッヒル氏がつとめています。ウィーンでの元旦のニューイヤーコンサートが終わった直後、各楽器主席メンバー10名は日本に旅立ちます。そして,日本各地でワルツ、ポルカを聞かせてくれるのですがこれがまた良い!お近くに来た時にはお見逃し無く!!)
ウィーンフィルはテクニック、音色,伝統、歴史なにをとっても世界最高峰のオーケストラに間違いありません。かつてこのブログに私のクラシック体験を書いた事がありましたが,やはり生まれて最初に買ったレコード(ドイツグラモフォン)のベートーベンの第7交響曲もベーム指揮のウィーンフィルでした。自宅のCDをひっくり返してもウィーンフィルの演奏が如何に多いかが分かります。とんでもない職人集団と言っても良いオーケストラなのだと理解しています。さて、
今秋のプログラムは,,チャイコフスキーの5番交響曲(8公演中6箇所)をメインに構成されテいると言って良いと思います。そのメインにヴェルディ、ロッシーニのオペラから序曲、バレエ音楽を載っけると言う非常に面白いプログラムでした。長野では9/24満員の会場でウィーンフィルの強くしなやかで甘く鋭い演奏を堪能してきました。ムーティの指揮は流れるが如く~~
ただ,ムーティの指揮は楽団員にとっては忙しいだろうな~~と思います。例えば最初のお辞儀をしてオーケストラに振り向いた瞬間に指揮棒が動き出す、曲間を詰めるので楽譜をめくるのが大変!みたいな、、、まあ長年の付き合いだから分かるのでしょうが。
本当にありがたい時代になりました。
かなわない願望を言えば,コンサートマスターはゲルハルト・ヘッツェル氏であって欲しいといつも思ってしまうウィーン・フィル・ファンの私も1人です。(Mr.ウィーンフィルと呼ばれたゲルハルト・ヘッツェル氏は1992/7/29登山事故で52歳の若さで亡くなりました.合掌)